神の王国に入る門は開いているか
「わたしたちは皆「罪を犯したため,神の栄光を受けられなくなっており」,「清くないものは,どのようなものでも神の王国に入ることができない」ので,全ての人は神のみもとに帰るにふさわしくありません。
たとえ全身全霊を尽くして神に仕えたとしても,十分ではありません。わたしたちはそれでもなお「ふつつかな僕」だからです。天への道を自分で勝ち取ることはできません。正義の要求が障壁として立ちはだかり,わたしたちは自力では乗り越えられないのです。
しかし何の手立てもないわけではありません。
神の恵みが,わたしたちの大いなる永遠の望みです。
イエス・キリストの犠牲によって,憐れみの計画が正義の要求を満たし,「人々が悔い改めを生じる信仰を持てるようにするその道を設ける」のです。
わたしたちの罪は,たとえ緋のようであっても,雪のように白くなります。わたしたちの愛する救い主が「すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」ので,主の永遠の王国への入り口がわたしたちに用意されているのです。
門は開かれています。」
(ディーター・F・ウークトドルフ「恵みの賜物」より)