神の愛を感じて元気が出るブログ

私が神の大きな愛を感じた言葉や出来事です。

神は悪人をも愛しておられる

私は、悪人に希望を与える話が大好きである。なぜなら私は、もし「あなたは善人か?」と問われるより、「あなたは悪人か?」と問われた方が「はい」と答えやすい気がするからである。心の底から悪に染まっているとは思わないが、汚れた気持ちを抱くことは度々あるし、実際多くの罪を犯してきた。


浄土真宗親鸞は、「悪人正機説」というものを説いた。それは「善人が極楽に行けるなら悪人はなおさら行ける」という教えだ。つまり、善人よりも悪人の方が極楽に行きやすいというのだ。一体どういうことか?


親鸞は若い頃、煩悩を捨て良い行いをすれば極楽に行けるという教えを必死に守ろうとした。しかし、どう頑張ってもそれを完全に行うことができずに苦しんだ。そんな時、極楽というのは、自分の力で行けるところではなく、自分の愚かさを認めて仏の憐れみによって救って頂くところなのだ、という教えに出会う。そうして親鸞は、煩悩を捨てきれない自分でも極楽に行けるという希望を見出したのだ。


だから、親鸞の「悪人正機説」とは、善人よりも悪人の方が自分の愚かさを自覚しているので、もし自分の愚かさを自覚していない善人ですら極楽に救って頂けるとすれば、愚かさを自覚している悪人はなおさら救って頂けるだろう、ということだと私は理解している。(実際のところ、私は自分の愚かさをきちんと理解することさえできていないだろうが…。)


聖書にはこんな言葉がある。


「あなたは彼らに言え,主なる神は言われる,わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が,その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ,心を翻してその悪しき道を離れよ。…」(エゼキエル書33:11)


「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きなよろこびが天にあるであろう。」(ルカ15:7)


神は悪人をも愛してくださる。悪人が滅びに至る道を離れ、幸せに至る道を歩むことを心から望んでおられる。そして、悪人が生き方を改めたいと思った時、過去の罪が新たな出発の妨げとならないように、キリストが全人類の罪を背負うという計画を用意してくださった。悪人に対する神の愛は、弱く罪深い私に大きな励ましを与えてくれる。