神が人を救おうとされる理由…その1
新約聖書でキリストはこのような例え話を語られた。
「あなたがたのうちに,百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら,九十九匹を野原に残しておいて,いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
そして見つけたら,喜んでそれを自分の肩に乗せ〔るであろう〕。」(ルカ15章)
この話について、ウークトドルフ長老はこう言われる。
「羊が神の救助を受けるにふさわしい理由は,単に良い羊飼いに愛されているからです。…
どのように道から迷い出たか,つまり自分の誤った選択のためであろうと力の及ばない状況のためであろうと,関係ありません。
大切なのは,皆さんが神の子供であるということです。神は御自分の子供である皆さんを愛しておられるのです。
天の御父は皆さんを愛しておられるので,皆さんを捜し出してくださいます。喜んで皆さんを御自分の肩に乗せて家に連れ帰り,『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』とおっしゃるでしょう。」
(ディーター・F・ウークトドルフ「主はあなたを肩に乗せて家に連れ帰ってくださるでしょう」より)
私は、数々の過ちを犯し、自分はもう神に救って頂くにはふさわしくないと思っていた。でも、違った。正しい人間であるかないか、どんな人生を送ってきたかどうかは関係ない。神が人を救おうとされるのは、ただ神が私たちを愛しておられるからだ。